東北被災地 報告1

2012年5月20日 10時17分 | カテゴリー: 平和

 先日、ネット藤沢メンバーで、東北の被災地を回ってきました。 先ず、南三陸町仮設住宅に向かいました。ここは「ジャスコ」の店舗跡で無償で借りられたそうです。300世帯の南三陸町の方々が暮らしておられます。
 被災前に住んで居られた処から地図の直線距離で10km以上も離れたところです。すぐ近くではなく、故郷を捨てさせられたような気分になりました。ここにはサテライトセンターがあり、入居者の支援が主な目的です。支援員は期限付きの雇用で被災者の方々です。又福祉仮設グルーポホームも併設されていました。
 町内会生きがい活動として2、3の活動があります。、そのひとつ、「南三陸復興地蔵」の人形を作っているグループ「南三陸はまゆり会」を訪ねました。18人の女性が運営しています。お地蔵さんを3体がお話をしているこけしです。これには1人でなくみんなで困難を乗り越えようという願いがこめられています。全国各地から訪問者があり、地方のテレビにも取り上げられたりでかなり有名になっていました。行っている間にもあちらこちらに人形を発送していました。
 人形には絹の着物が着せられています。初めはこの布がなく苦労されたそうですが、今は全国から送られてくるようになり、材料費が助けられているそうです。私達は家に眠っている絹の着物を送ることで支援ができますね。

 
今回、案内をいてくださった戸田和夫さんはNPOみやぎ災害救援ボランティアセンターの会員で、登米市災害ボランティアサポートセンターやハブセンターの事務局等をされており、県内外のボランティア受け入れの仲介やサポートをされています。そのお話から「絆」は普段からの町内会作りが大事。避難所のとりまとめは自治会長が中心になる。普段の自治会活動を綿密にしておくことが重要と伺いました。
 又ボランティアを受け入れる素地作りも必要です。例えば、外国からボランティアが支援に来られたところ、最初、自治会長が受け入れ方もわからず、受け入れを断ったそうです。あわてて戸田さん達が自治会長を説得し、支援をしぶしぶ受けることにしたのです。ところが外国人の働きがハンパでなく村の人達は目をみはるばかり。その勢いに感化され、被災者自身が片付けに動きだしたそうです。
 行政や社協だけでは支援復興活動は運営できない。上下の指揮系統の維持や責任問題、縦割り等で危機感が薄いのではと思うぐらい動きが鈍い。行政は自分達だけでは出来ないとわかっているのに外からの支援の受け方がわからない。つまりができない。すなわち、行政は災害が起きた時の支援・復興計画を8時間・24時間・3日・1ッ月と予めもち、システム化し、ボランティアの支援の活用方法のシステム化し、熟知しておくことが必要というお話は今後の藤沢市の計画にも盛り込まなければならないことだと感じました。
 次に、志津川デイサービスセンターに行きました。この建物は小高い丘の上にありました。この敷地からみるとまさかこんな上にまで津波が押し寄せるとは考えられません。津波は天井まで来ていました。このセンターの上にある高校の生徒達は津波が引いた時入所者を引きもどして助け、また引いた後・・・。何回も打ち寄せる津波で16人が助けられました。高校生達は自分の身の安全も顧ず救助したそうです。しかし、目の前で流されていく御老人達。どんなにつらかったでしょう。高校生の活躍を聞き、都市部では、昼間の災害時には中高校生の役割も大きく、計画に盛り込むべきと考えました。

 志津川町の津波到達した場所にも行って来ました。河口から約4〜5km位のところです。山奥です。海等見えません。小さな川です。そこに津波に遇われた70体の御遺体が見つかったのです。
国道45号線の標識に「これより先津波浸水想定区域」と書かれていました。即ち平成12年にはすでに東日本大震災規模の津波は想定されていたということです。行政は標識を立てたが、市民に情報の今日いい、理解が中途半端であったということでしょうか。標識ひとつに対しても市民に丁寧な説明が必要だと痛感しました。(大桑)