東北被災地報告2

 瓦礫はまだまだあります。クレーン車がガス抜きのためでしょうか、掘り返していました。海の見えない山の中に漁船や定置網のブイのようなものが転がっていました。ここまで流されてきたのか。ビルの上にも船がありました。
 
 仮設住宅があちこちに建てられていました。こんな何もない山奥にと思うところにもありました。スーパーが車で移動販売をしているそうです。ある地区でバス停はありましたが、バスは通っていませんでした。高齢の方の病院通いはスーパーの車に乗せてもらうとのこと。この地区はほんとうに車がないと生活できません。
 場所によって仮設住宅がちがうのです。仮設住宅は20社程が製作しているそうです。しかし、粗悪なものは天井が落ちてきたり、結露が激しかったりとどれも同規格というわけではないと聞きました。災害が起きるとなんでもいいから早く建ててほしいと思います。私達は今ならどれがいいとかこれがいいとか考えることが出来ます。規格に統一基準が必要です。ここは行政が計画をたてておくことが必要ではないでしょうか。
 
 全校生徒がなくなった大川小学校に行く前に全校生徒が助かった小学校の前も通りました。大井小学校との立地条件を比較するためです。石巻市立大井小学校は北上川のすぐ側にありました。モダンな校舎です。どちらかというと水面より地面の方が低いのです。川の堤防が小山の状態です。しかも校舎は1階建。今は周りが津波で流され、何もないですが、当時は家等が建っていて視界がさえぎられています。(土台がたくさん残っていました) 裏山は小さな子供では登ることは不可能な傾斜の山。何故この立地条件の処に小学校を建てたのでしょう。
 一方、助かった小学校は比較的高台にあったり、海や川の状態が学校からよく見えるところにありました。見える故日頃から避難訓練がなされ、テレビやラジオからの情報がなくとも目に見えるから避難が即座に行われたので逃げることができたのです。

 戸田さんのお話によると海の中は現在震災前よりきれいになっているそうです。生活排水も入らないし、海に溜まった瓦礫ははからずも漁礁となり、魚がふえてきているそうです。但し、放射能汚染があるため、大きく育った牡蠣も食べられません。
 使えなくなった漁港は瓦礫置き場になることで収入を得ています。マスコミは瓦礫が復興を妨げていると報道していますが、そうとも限りません。漁礁になったり、収入元になったりしていることもあります。

 石巻の仮設住宅の集会所で自然の小枝を削ったお箸と、端切れで作った箸袋をセットにして売り出している方々にお話を聞きました。ネット藤沢で、持っていった布を差し上げたところ、おもしろいものが出来ると喜んでくださいました。道路はこれから5mの高さに押し上げられ、道路から海の方は住宅地ではなく国立公園にし、道路が防波堤なる計画だそうです。教えていただいた方は「あのブロック塀のあるところが自宅のあったところよ」と指さされました。そこは今後国立公園の敷地となる場所でした。

 今回案内していただいた戸田さんの所属されているNPO法人が震災の1週間前の3月4日に、行政と「災害時の福祉施設の救助」について話し合いをされていたそうです。そこでまとまった事項がそのまま実行されて救助が出来たとお話くださいました。たまたま救助のシュミレーションされていた。私達も行政の提案を待つのでなく、いつくるかわからない災害に対し「想定外」と言わなくていいようにいろいろシュミレーションをしておくことが必要があると強く感じました。(大桑)

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