東北被災地視察報告 3

 南三陸町では、県道396号線をはさんだ山の上に小・中学校はあり校舎への被害はなかったようだが、県道沿いの川は異常に水位が高く橋まで2mはないように見えた。地盤沈下が起こったのだ。欄干はまだ修復されておらず川上方向へ曲がったままだった。町の中心部へ目を向けると家の土台だけ残りがれきとなったものが一塊に山積みにされた中に、骨組だけの防災センター、屋上近くまで浸水した病院、津波避難所のマークがある4階建ての建物、壊れた防潮堤があった。
 国道45号線を南下する途中、平成12年に国土交通省が設置した津波浸水被害想定区域の大きな標識があった。予測はされていたのだが、被害は避けられなかった。「今までも津波警報があったけど、ここまではこなかった」「今回もそんなに高くないだろう」被害想定に対しての危機感が甘くなっていなかっただろうか?戸田さんは「被災者は被害者ではない。自らの防災意識を高くもつことで避けられる事態もあるのではないだろうか」とおっしゃっていた。わが身を振り返ると耳の痛い言葉だ。

 
 原発で名前を知られるようになった女川だが漁港がある中心部と原発は女川湾をはさんで距離はだいぶ離れている。市町村合併では石巻市には併合せず独立町を選択できたのは周辺町とは違い原発の恩恵があるからだといわれている。だが町の中心的産業はやはり漁業で港は整備されつつも町役場を始め住宅地は再建されておらず、山沿いに位置し津波を逃れた地域との境界がはっきりわかる図だった。
 瓦礫の撤去から復興道路インフラ整備など仕事はたくさんあるように見えるが重機の数や人の動きが少ししかないように見えた。南三陸でも同じだった。理由は何だろう?人手の不足・経費・?? 復興の青写真ができていないのだろうか?「1年過ぎてもなかなか進まない復興」TVでよく聞くコメントだが真相はどこにあるのだろう。(引地)

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