これまでの大きな出来事・歴史

地域ネット設立のきっかけ

1980年の「合成洗剤追放」の直接請求は、神奈川県下7市(藤沢市含む)で否決、という結果でした。これをきっかけに当時の生活クラブ運動のリーダーたちは、議会に生活者の視点を持つ代理人が必要と思うようになります。
1983年に川崎市で初の代理人、寺田悦子さんが当選したことで力を得て、1987年の統一地方選に代理人を出すべく、前年の1986年に「藤沢いきいき市民の会」として設立しました。
1986年のチェルノブイリの原発事故後、1987年に「食品の放射能汚染に関する実態調査と情報公開」を求める運動を行った結果、1988年に市が放射能測定器を購入し、市民による残留放射能測定が始まった。

1992年 生活クラブ運動グループでは初の「家事介護W.Co藤」の設立を支援した。
・遺伝子組み換え食品を学校給食に使用しないことを全国で一番に実現させた。
1998年 「WE21ジャパン藤沢」の設立支援とWEショップ1号店、また、2001年には2号店、3号店の開設を支援した。
2000年 市民福祉事業支援条例の制定に向け、運動グループとともに直接請求をしたが、結果は否決だった。
生活クラブ運動グループと松葉によるダイオキシンの調査をした。
2002年  W.Co「実結」の市民資本によるデイサービス「デイことは」の開設を支援した。
「(企)W.Co花もめん」が、市民事業者として初めて市の給食サービス委託のモデルとなるための支援をした。
2003年 給食サービス全体の「作って、届けて、安否確認」をする一元化のシステムを実現させた。