1980年〜82年にかけて、核中距離反対運動がヨーロッパ全域で拡がり、イギリスのマンチェスターでは、非核宣言をしました。この運動は東京、大阪と日本各地でも起こって、藤沢では『とにかく(核)ごめんだ青空会議』がサンパール広場で開かれ、署名活動を行い、議会に陳情し、藤沢市議会全会一致で「非核兵器廃絶平和都市宣言」が1982年に可決しました。
その後、宣言記念事業が行われ、憲法記念日の市の主催の事業を除いては、現在に至るまで公募の市民による、平和の輪をひろげる(100日間)実行委員会が行ってきています。(*1998年に100日間と云う言葉が取れる。)
1984年、8月15日 藤沢駅サンパール広場に平和モニュメント建立。
1987年から、10年間、広島平和ツアーを行う。
8月6日、被爆広島の現地に小中学生40人を派遣し、色々なことを体験させる
1989年、平和基金条例が誕生
1995年3月30日、非核平和条例が市議会全会一致で制定される。
8月15日に、市民会館前広場に母子像を建立。
その他、ピースリングバスツアー・平和展・被爆体験講話会・学校巡回被爆体験講話・市民まつり・長崎派遣事業・各地域平和事業等おこなっています。
今、各公民館単位で、地域平和事業が行われ、それぞれ特色ある活動を通して、『平和に
ついて」語り繋がれています。まだ13地区全域に拡がっていないのが残念です。
戦後60年経つ今、戦争体験者の方々は皆さんご高齢となってきています。被爆体験講和
の語り部さんの数も減り、年々学校巡回できる数が減っているのも残念なことです。
戦後生まれの私たちは、戦争体験者の世代に守られ平和の中で育てられました。
今度は、私達の世代が、次世代に戦争の悲惨さ・怖さ、決して再び戦争を起こしてはいけ
ないことを伝えていかねばならないのです。
藤沢市の平和運動の始まりは、核ではなく基地問題です。
戦後60年も経つのに、神奈川県の中だけでも、18箇所のアメリカの軍事基地があることはおかしな話です。厚木基地から横須賀基地までの米軍戦闘機の飛行訓練は多くの騒音被害をもたらし、同時に非常に危険な状態です。(飛行線上に当たる各家での防音工事は防衛庁により多額のお金(税金)が使われています。)
この夏片瀬海岸沖に米軍ヘリコプターが不時着するということがありました。人への被害は無かったものの非常に危険なことです。
未だに基地問題は、撤退の方向には進んでおらず、多くの課題を残しています。
神奈川ネットワーク運動・藤沢は、当初からイラクへの自衛隊派遣の反対を訴えてきました。
今後も、世界の平和を望み、地域活動を展開していきます。